ルーシェル(ルシファー,Lucifer)の正体

1999年2月10日、李 相軒 先生が霊界から送ったメッセージ

ルーシェル(ルシファー,Lucifer)の正体

ルーシェルは、神様が被造物を創造される時、エデンの園の中のあらゆることを面倒見るべき、使いの立場として創造されました。神様はルーシェルを愛されました。そして彼にエデンの園の中にあるすべての被造物の世話をし、よく育て、楽しむように導かれ、教えられました。ルーシェルも神様の命令に従ってあちこち歩き回り、楽しみ、神様の前に従順に従いました。
その後、神様はアダムとエバを創造され、彼らを神様の子女の格位に立てられ、ルーシェルに、惜しみなく世話をし、育て、愛しなさい、と指示されました。初めルーシェルは、とても喜びました。神様の子女の世話をしているという自負心をもち、神様の愛にとても感動し、神様の子女をよく保護し、とても大切にしながら育てました。しかしルーシェルが心配する必要もなく、アダムとエバはすくすく成長していました。ところが歳月が流れるに従って、ルーシェルは神様の愛に次第に反旗を翻し始めました。
「いくら考えてみても、私が先にエデンの園を苦労して造り上げてきたのに、神様はなぜ私よりもアダムとエバをもっと大切にし、愛されるのか」という疑問とともに、ルーシェルには神様に対する寂しさが芽生え始めました。そしてルーシェルは時々、神様の愛に対して抗議したりもしました。ルーシェルは神様に、「どうして私には下さらないみ言をアダムとエバにだけ下さり、どうして私よりアダムとエバを格別な立場で愛されるのでしょうか、私は寂しいです。正しい道を行かれる神様が、そのようにされてもいいのでしょうか」と言いながら、反発し始めたのです。
そのようなことが何度か起こりました。そのたびごとに、ルーシェルは自分が守るべき位置を失っても、アダムとエバと同等な位置で生活したくなったのです。
ルーシェルは特に、エバに接近するたびに異性的な情感を感じるようになりました。ルーシェルは神様の視線をひそかに避けながら、エバにさらに強く接近し始めました。この時、天真爛漫なアダムとエバは、ルーシェルのすべての行動に、まるで父母に対するようによく従いました。
ルーシェルは、あたかも自分が彼らの親であるかのように行動しながら、神様の視線を避けつつ、自分が彼らの主人のごとく振る舞いました。そしてアダムとエバを手の内に入れて、アダム・エバと神様の関係を次第に疎遠にさせていきました。ルーシェルは神様の視線から次第に離れて、主人のように、王のように、父母のように振る舞いながら、エバを誘惑し始めました。アダムはその事実を知らないまま、自分が行きたい所を思いのまま歩き回りながら、楽しんでいました。アダムはすくすく成熟していきましたが、ルーシェルとエバの関係を全く悟れませんでした。アダムには神様の教えもありませんでした。エバはルーシェルと身近に過ごしていたので、アダムは一人で生活するのが習慣となったまま成長していったのです。
やがてルーシェルがエバに罪の種を芽生えさせようとする時、神様がルーシェルに、自分の居る所で自分の位置を守らなければならない、と警告されました。それにもかかわらずルーシェルは、神様に対してさらに強烈に反抗し始めました。ある時にはルーシェルは、自分の位置や身分もかまわず大胆になったりもしました。神様は、幾度かルーシェルを諭しました。
神様はルーシェルに対して、自己の位置を離れると神様の前に大きな犯罪者になるといろいろな角度から諭されましたが、そのたびに彼は神様の位置に立って、神様ができることは自分もできると反発し、自分勝手に進んでいったのです。
神様は、ルーシェルが歴史に汚点を残さないようにするため、彼を何度か諭し警告されましたが、ルーシェルは自分が最高で、神様よりもっと高くなることができるという驕慢な心まで抱くようになりました。ルーシェルはさらにエバに接近しながら、エバに彼の驕慢性を伝え始めました。波打つ波濤のような罪のうねりの中で、神様は限りない悲しみを耐えながらルーシェルをなだめましたが、結局ルーシェルは人類歴史の前に犯罪者となってしまいました。言い換えれば、ルーシェルとエバの不倫の関係が始まったのです。その事実を知るようになった神様の心情は、いかばかりであったことでしょうか。それは、涙と悲痛と痛みの入り交じったものでした。神様はエデンの園で最も悲痛な存在になりました。そして神様は、そのような悲痛な心境を万物と共に紛らわせざるを得ませんでした。
それが何日になったでしょうか。それが何年になったでしょうか。神様のそのような心境にもかかわらず、ルーシェルとエバは神様を避けながら狂ったように浮気をしていました。しかし物心つかないアダムは、神様の悲しい心情を少しも推し量ることができずにいました。それで神様は、ただ万物を友として、子供として、嘆きの歳月を送るしかなかったのです。
その後、エバは次第に異性的に成熟しながら、自分とルーシェルとの関係が不倫なものであることを悟るようになりました。そのような関係の中で、エバとルーシェルの不安と恐怖は一層募っていきました、そしてエバは、ルーシェルから伝えられた不安と恐怖を、そのままアダムに移し始めました。
物心のつかないアダムはエバの姿を見た時、成熟した女性としてよりも、不安に震える女性としてのエバを救済してあげようと、慰め、エバが言うとおりに従ってあげました。それがアダムとエバの愛でした。しかしアダムは、自分よりエバをもっと熱く愛するルーシェルがいることを知りました。
かくして、時が流れながらアダムとエバの複雑で険しい愛がつづられたのです。これが人類罪悪史の始まりであり、人類の原罪の根となりました。神様は愛してみることもできなかった子女を、ルーシェルに先に奪われてしまいました。その時の神様の凄惨な心情は、いかばかりであったことでしょうか。
神様はそのような悲しみと痛みの立場にあったとしても、父母の立場で子女たちを迎えたかったのですが、彼らが堕落して神様の前に立つことができないので、神様は父母の立場を去らざるを得ませんでした。神様と人間の親子の関係が、その始まりからこのように難しく、痛く、悲痛な歴史へと流れてしまいました。宿命的な愛の親子関係が、恨みと呪いと悪夢の場へ転落したのです。ですから今こそ、この罪悪歴史を正し、ルーシェルが本来の位置で神様の前に両手を挙げて謝罪する時、初めて復帰節理の痛みと神様の恨の歴史が解かれることでしょう。